もっと知恵を出し合おう! - 相次ぐ「自粛」に思う

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段葛は数本だけ咲いています。まだまだですね(^^)

段葛は数本だけ咲いています。まだまだですね(^^)

Nikon D90 + Nikkor 35mm F2D

東日本大震災から3週間が過ぎ,全国各地に,いわゆる「自粛ムード」が漂っているようです。

本ブログ内の紹介記事へ公共の公園での花見が各地で禁止になったり,大きなイベント事がいろいろと「自粛」になっています。

また,われらが「Mt.Fujiヒルクライム」も,本ブログ内の紹介記事へちょっと気弱な発表をしています。

これら,さまざまな「自粛」に対して,真っ向から対立する意見が飛び交っています。

自粛反対の意見

おいらは,基本的にはこの意見です。

形式的な「自粛」は,経済活動を低迷させてしまうからです。

亡くなった方に弔意を示し,また,今もつらい思いをされている避難民の皆様に敬意を持ち続けることはとても大切です。

しかし,残念ながら,お金がないと復興ができません。

平成23年度(それ以降も)は,いつもと同じ,いや,いつも以上にどんどん生産して,どんどん消費して,がんがん税金を納めて,国を回していかなければならないと思うのです。

ただ,「被災地で不足している物を大量に消費してしまう」「余震が危険で安全が確保できない」「計画停電で開催できない」などの物理的な理由であればやむを無いと思います。

そうでない,心情的な理由であれば,やはり,意地でも開催してたくさん消費して税金を納めたいと思います。

仮にFHCが中止になれば,大量の宿泊キャンセルが発生し,本来,会場周辺の宿泊施設(や納入業者を含めて富士吉田全域)が儲けるべき収入が0になり,収めるべき法人税が減ることになります。

たった一つのイベントでこうですから,日本全国津々浦々でいろんなイベントを中止する影響はGDP確実に押し下げ,さらに不幸になっていくスタート地点になってしまうのではないか,と危惧します。
(GDPが高ければシアワセか? は,また別の議論ですが)

というわけで,経済学が割りと好きなおいらとしては,ぜひ,FHCも含めた各種イベントはぜひ開催してもらいたいと思っています。

自粛すべきという意見

今回の地震では,3万人に迫る多くの方が死亡または行方不明となっています。

経済学的には,「可能な限り生産・消費を回して税収を上げる」のがいいのは分かりますが,それでも,人間の当然の感情として,被害に遭われた方々のことを思うと,バカ騒ぎ・派手な催しは気が引けてしまいます。

個人レベルの「死」であれば,いわゆる,「喪に服す」という心境かと思います。

被災者の方としても,地震から3週間で「復興」なんていう状況じゃない。まだ,被災の途中なんだという意見もあるかと思います。

そのような気持ちをおもんばかれば,派手なイベントを開催すべきではない,という意見もあって当然かと思います。


ではどうしたら? - 二者択一からの脱出

異なる二つの意見があるときに,どうしたらいいのか。

以前,本ブログ内の紹介記事へこちらで紹介した倫理の本では,こんなときの考え方のヒントがあります。

今の状況は,イベントを「やるべきか」or「やらないべきか」という,二者択一になってしまっています。

「私と仕事どっちが大事なの?」みたいな状況です。

このような場合,選択肢を増やすことが一番大事です。視野を狭めてはいけません。

「やるべきか」or「やらないべきか」or「もっとうまくやる方法はないか」です。

そして,もっとうまくやる方法をみんなで考えれば,いろんなアイディアが出てくると思います。

すぐに思いつくのは,チャリティー。「FHC&東北支援ジャージ」なんかを作ったら,おいらなら2万円出しても買います。経済は確実に回せるし,義援金を送れるし,税金も納められる。むしろ,こういう仕組みの方が大手を振って自転車ウェアやパーツをどんどこ買えるかもしれません(^^)

他にもみんなで考えればもっといろいろな開催方法が思いつくでしょうし,残念ながら開催見送りという結論になることもあるかもしれませんが,考えた末であればそれもまたやむなしです。

一番悲しいのは,なんにも考えないで,「他も自粛してるから,うちも自粛するべ」という態度。何も生産せず,せっかくの相互扶助のチャンスをみすみす逃すことになります。

こうならないことを祈るばかりです・・・。


こんな考え方も - 正論バトルからの脱出

TV討論会などでも良く見かけますが,ネット上で特に多いのが「正論バトル」です。

おいらが勝手に名づけただけですが,いわゆる「正論」をぶつけ合う議論のことです(本ブログ内の紹介記事へこんなのとか)。

「開催すべき」とする意見も,「自粛すべき」とする意見も理にかなっており,根拠のある正論です。

正論同士がぶつかる場合,お互いが一理あることを言い合うわけですから,無敵の「矛」と「盾」のように決着がつきません。お互いが「正しいことを言って,なんとかして相手を黙らせよう」として,次々と正論を持ち出すことになります。

しかし,多くの人は,100%自分の正論を信じきっているわけではないと思います。

おいらだって,基本的には「開催すべき」と思っていますが,心の片隅では「被災された方々を思えば開催するのは気が引けるかも」という気持ちだって,もちろんあります。

しかし,正論バトルでは,各自「正論」を持ち出しているうちに,こんな心の片隅の気持ちは消え去り,無限に正論を持ち出すことになってしまいます。




アメリカの心理学者,コールバーグは正論にしたがって行動する人の道徳レベルは,6段階の上から3番目としました(最上位は「良心に従って行動する」です)。

しかし,その後,弟子であるキャロル・ギリガンに「それは正義の倫理だ」「大事なのは他人をケアする思いやりだ」と非難されました。(この非難のせいで,コールバーグは鬱になってしまったので,ギリガンもどうかと思いますが・・・)

ギリガンに関する有名なお話を(元はイソップです)。

厳しい冬,一匹のヤマアラシがモグラの家族の巣穴にやってきて,「一冬だけ一緒に居させてほしい」とお願いしました。心優しいモグラ家族は喜んでヤマアラシを招き入れました。

しかし,巣穴が狭いため,ヤマアラシが動くたびにトゲがちくちく刺さって痛い思いをします。

ある日,我慢しきれなくなったモグラ家族は,ヤマアラシに巣から出て行ってもらうようにお願いしました。

するとヤマアラシは,「ここに居るのが嫌なら,君達が出て行けばいいじゃないか」といいました。

あなたがモグラ一家ならどうするか?

正論なら,もちろん,「巣穴はモグラ一家に所有権がある。ヤマアラシが出て行くべきである」となるでしょう。

いや,逆に「一冬だけ住まわせてくれる契約をしておきながら,途中で破棄しようとするモグラ一家は債務不履行に当たる」とも言えるかもしれません。

さて,どうしたものか・・・。

ギリガンは,「誰もが傷つかない案を模索する態度」を高く評価しました。たとえば,「とげが刺さらないように毛布でくるんであげる」というような解決案です。


今回の地震被災地は本当に過酷な状況と思います。

そこから遠く離れたおいら達が,「開催すべきだ」「自粛すべきだ」という正論を振りかざした不毛な議論をするより,暖かい毛布を差し出すような心が欲しいと思っています。

その上で,「うまく開催するにはどうしたらいいか」をみんなで考えられればと思っています(^^)

おしまい。


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2011年04月02日 | カテゴリ:  くらし | ID: 9997
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